飯田線秘境駅巡りの旅 小和田駅編

今回は引き続き旅行記シリーズです。秋に飯田線の秘境駅を巡ってきたのでその様子をお伝えします。

飯田線秘境駅巡りの旅 為栗駅編

前回は為栗駅の様子を載せました。暇な方はそちらもどうぞ。

さて、為栗駅から電車に乗ることおよそ15分。小和田駅に到着しました。写真を見ると分かりますが、我々の他にも秘境駅巡りをしている客がいました。

小和田駅は飯田線が誇る日本一と言っても過言ではない秘境駅です。まず周囲には人家がまったくありません。一軒廃屋がありますが、人が住んでいるとは思えないほど荒廃しています。また、前回の為栗駅の場合は吊り橋を渡って15分ほど歩けば2車線道路に当たりましたが、小和田駅は最も近い道路まででも歩いて1時間以上かかります。

そんな小和田駅の1日利用客数は2人。0人でないのは、写真にも写っていますが、秘境駅巡りをする観光客のためでしょう。

駅前の風景です。為栗駅と同じく山と川しかありません。このあたりの飯田線は天竜川と平行しているので似たような景色になります。ただ小和田駅のほうが山あいにあるため、周囲の山が高く、閉ざされた雰囲気になっています。

駅舎の中です。運賃表や時刻表も一応あります。時刻表を見ると小和田駅に来る電車はどちらの方面も1日10本もないことが分かります。もちろんJRのローカル線ではもっと本数の少ない線区もありますが、独特な秘境駅の雰囲気でここに勝る駅はないと思います。

右に「旅の感想~」とあります。これは一体何だろうと思い下を見てみると・・・

箱の中に「思い出日記」なるノートがありました。いろいろな人がここに来てはノートにメッセージを書き込んでいるようです。

人生の意味を探して一人旅をしていた20代の大学生、仕事がうまく行かずリフレッシュに来た40代の会社員、会社をリタイアして余生をのんびり過ごす60代の夫婦。さまざまな人が書き込むメッセージの中には「また来たいです」という文字もありました。手付かずの自然とローカル線の風情は、人々の心を癒す不思議な力があるのでしょう。

次の電車までは1時間余りあるので、駅舎を出て周囲を散策します。この駅舎もいい雰囲気を出しています。

少し川のほうに下ると休憩所がありました。この「愛」と書かれたベンチは何でしょうか。実はこの駅は、1993年の皇太子徳仁親王と皇太子妃雅子がご成婚の際にとても賑わったそうです。理由は皇太子妃の旧姓が「小和田」でこの駅と同名(読みはおわだ、この駅はこわだ)表記だったから。ということで、恋愛成就にあやかろうとする人々が大勢集まったそうです。

実際にこの駅の下の広場で結婚式を挙げたカップルもいたようです。このベンチはそのときに設置された名残です。今ではひっそりとして当時の賑わいは想像がつきません。

ここから1kmほど上流に落ちたままの吊り橋があるようなので行ってみることにしました。

かなり足場が悪いです。鬱蒼とした森を歩いていきます。

見上げると飯田線の鉄橋が確認できます。なかなかこんな風景も撮れませんね。

このあと15分ほど歩きましたが、それらしき吊り橋は見つけられませんでした。かなり日が傾いてきたため、このあたりで探索を断念。駅に引き返します。

なぜなのでしょうか、大自然の中で日が陰ってくるとなんだか怖くなってきます。為栗駅で言っていた吊り橋やらジェットコースターやらの怖さとは全く異なります。何か本能的な怖さを感じます。秘境駅マニアの中にはこういう駅で寝泊りを敢行する猛者もいるのだとか。私にはできません・・・

駅に戻ってきました。

改めて駅名票を。恋成就駅と言われたのも遠い昔。すっかり平静を取り戻した小和田駅は、山間の中にひっそりとたたずんでいます。それにしてもここは政令指定都市の区なのですね・・・

三県境の立て札です。正確な三県境は天竜川の上の地点ですが、各県の方角を表す立て札が立っていました。

ホームは1面1線ですが、かつては2面2線で交換可能だったことが伺えます。

やがて電車の音が聞こえてきました。

213系です。今回の旅での唯一313系以外の車両でした。

ここから豊橋まで2時間以上かかります。日もすっかり暮れ、電車は暗闇の中を進んでいきました。新城のあたりまで来ると乗客も増え、沿線の明かりも見えてきて一安心。豊橋についた後は名古屋方面に乗り換えて帰りました。

普段はビルやインフラなど人工物ばかりとっている私には、名もなき秘境の大自然が新鮮でした。有名観光地もいいのですが、ひっそりとした秘境もまた素晴らしいものです。またいつか訪ねてみたいと思いました。

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