広島遠征前編 市内観光

今回からは広島編をお届けします。広島は以前から行きたいと思っていた場所のひとつでした。修学旅行で行ったことはあるのですが、そのときは天候も悪くゆっくり回れなかったため、密かにリベンジしたいと思っていました。

また広島は今、一気に再開発が動き出しています。西日本では特に勢いのある大阪と福岡に挟まれているため埋没しがちですが、近年の広島の発展の具合は目覚しいものがあります。

ということで10連休を利用して5月3日~5日で広島に行ってきました。天候は何と3日間とも快晴。青空の下、再開発も建築も世界遺産も思い切り巡ることができて大満足でした。今回は旅行記として観光メインでお伝えします。

名古屋から広島へは新幹線で2時間余りです。朝7時半すぎの博多行きに乗り、10時前に着きました。

広島駅のコンコースはたくさんの人であふれていて驚きました。やはり世界遺産を2つも有する街とあって、インバウンド需要も並大抵ではありません。特に欧米系の人が多かったのが印象的でした。

駅周辺は広島の中でも最も劇的に姿を変えつつあるエリアです。昼過ぎまではここで再開発の取材。詳しくは広島編の最終回で細かく紹介します。

さて、駅周辺の取材が終わったところで観光を開始。まずは市の中心部にある広島城へ移動します。ここは修学旅行でも行っていないので初訪問となります。

広島城天守閣です。水濠とのコントラストがいいですね。小さな遊覧船も航行してみやびな雰囲気でした。

築城は毛利輝元。有名な毛利元就の孫です。毛利元就の時代は戦が多く、拠点を吉田郡山城という防御しやすい山間部に置いていました。一方輝元の時代になると戦は少なくなり、領国経営や商業の発展が重視され、城下町を構築しやすい平野部に拠点が移動。そのときに築城されたのが今の広島城です。

外壁部材に木が見えますがこれは築城当時のものではありません。原爆で崩壊し、現天守閣は戦後復元されたものです。

中は他の城と同じような感じで博物館として使用されています。構造は最上階のみ木造、他はSRC造です。大きな吹き抜けがある近代的なつくりですが、さすがにエレベーターはありません(笑)

階段を上っていくと最上階に到達。ここからは広島市内を一望できます。こちらは駅周辺~八丁堀~紙屋町にかけての広島の中心街の景観。近年になって高層ビルがかなり増えてきました。詳しい再開発に関する情報は別記事でお伝えします。

さてここからはアストラムラインに乗車します。これも乗ってみたかった乗り物のひとつでした。アストラムは新交通システムの一種で、都心部へ向かう渋滞がひどかった広島市北部の交通事情を改善するために建設されました。

現在では中心部の紙屋町から広域公園(西風新都)まで山間部を回り込むようなルートで運用されています。そこからさらに延伸し、西広島に接続する計画もあります。

アストラムラインの新白島駅です。JRと交差する場所ですが、調整が難航したのかアストラム完成時は駅が設置されず、20年近く経ってようやく悲願達成となりました。

何といっても特徴的なのはそのデザインです。風の谷のナウシカに登場するオームのような姿。道路の中央に出現した白い駅は抜群のインパクトがあります。鉄道大国と言われる割には野暮ったい駅が多かった日本ですが、今全国でデザイン性の優れた駅が増えつつあります。アストラム新白島駅はその代表格と言ってもいいでしょう。

内部です。シェルから光が入り込み、自然光のやわらかな空間が形成されていました。こんな素敵な駅があるのは本当に素晴らしいことですね。

ここから広島一の繁華街である紙屋町(県庁前駅)に移動します。

紙屋町は広島の中心部とあって商業施設が集積しています。名古屋で言えば栄です。原爆ドームや平和記念公園も近く、1日中大勢の人で賑わっています。また路面電車もいくつもの系統が乗り入れていて、かなりの高頻度運行となっています。

その路面電車です。広島電鉄は日本最大の路面電車網を有しており、その車両も本当に多種多様です。旧型の単車から他都市から譲り受けた中古、最新鋭の5連接まで、紙屋町でずっと路面電車を眺めているだけでも楽しいです。(この写真は紙屋町ではありません)

そんな賑わう紙屋町で、おお!と驚かされたのは商業施設「パセーラ」です。大きな吹き抜けと曲線で作られた大空間はとても都会感がありました。広島くらいの規模の街でこのような商業施設があるのは驚きました。

名古屋はこういう大空間や吹き抜けの都会的な商業施設が少ない気がします。今後の再開発でこういった施設ができるといいですね。

このまま原爆ドームと平和資料館に向かいます。広島観光といえばやはりここでしょう。修学旅行でも来ましたがそのときは雨だったため不完全燃焼でした。

まずは原爆ドームです。広島県物産陳列館として完成したのは1915年。まだ洋風の建物が珍しかった当時は、広島の名物として市民に親しまれていたそうです。

爆心地からはわずか200m程度でしたが、広島県産業奨励館は奇跡的にその姿をとどめました。その後「取り壊すべきだ」という意見の高まりや自然劣化などで存続が危ぶまれたこともありましたが、20世紀末に世界遺産登録され、現在も修復を続けながら保存されています。

平和資料館です。4月末に大規模リニューアルを終え、新装オープンしています。手前にテントや花の装飾が見えるのは後述するフラワーフェスティバルのものです。

館内に入ります。所狭しと並ぶ資料からは原爆や戦争の悲惨さや酷さがひしひしと伝わってきました。驚いたのは入館待ちの行列です。私が入ったときはそれほど待たなかったのですが、出るときには1時間待ちの行列になっていました。

建築としてみても平和資料館は非常に見ごたえがあります。設計は世界的な建築家、丹下健三。

展示室のボリュームは大きなピロティに乗っかります。非常に単純な構成ですが、コンクリートの質感と相まって、今日に繋がる広島の発展を彷彿とさせる力強い印象を与えています。

ちなみに本館はリニューアル工事は終わったものの耐震工事が行われているため、何とか仮囲いが入らないような写真を撮りました。本当はピロティからの抜けを見たかったです。

平和資料館2階からは原爆ドームを正面に望める場所があります。丹下健三はこの建物のみならず、平和記念公園全体を設計しています。その際に原爆ドームと慰霊碑を一直線上に配置し、その軸線を広島のもうひとつの重要な軸線である平和大通りと垂直に設定しました。

これらの十字の軸線は広島の都市骨格を構成する重要な要素です。原爆ドームが真正面に望めるこの景色は、公園だけでなく都市のスケールで広島を捉えた、丹下健三の壮大な都市計画構想の一部なのです。

ここまで平和関連施設を紹介してきましたが、広島というとこのような原爆のイメージが先行し、暗いと言われることもあります。しかしこの賑わいを見てください。広島の都市軸である平和大通りを会場としたフラワーフェスティバルの様子です。大勢の人が幅100mもある道を埋め尽くし、とても活気に満ちています。再開発やカープなどを見ても、広島は日本有数の元気な街といっても過言ではありません。

余談ですが名古屋の100m道路は中央が公園、両側が道路であり、広島のものとはレイアウトが逆です。テレビ塔付近は今まで活気があまりなかったので、現在進行中のリニューアル工事を経て、フラワーフェスティバルくらい賑わうといいですね。

さて、前編はここまで。後編では広島市を出て宮島、岩国方面へと向かいます。

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