岐阜高島屋が閉店 47年の歴史に幕

岐阜高島屋が7月31日、閉店します。その様子を見てきたので記事にしたいと思います。

柳ケ瀬の中心にある岐阜高島屋は1977年の開業でした。当時は岐阜は繊維業などが盛んで街に活気がありました。郊外型モールの姿がなく、百貨店業が元気だった時代、岐阜高島屋は年間200億円を売り上げていました。

しかしバブル以降は売り上げが低迷。郊外型SCが徐々に数を増やし、00年以降はジェイアール名古屋高島屋の登場もあって経営が厳しくなっていきました。

柳ケ瀬のシンボルとして何とか持ちこたえていましたが、建物の老朽化も重なり、昨年閉店が発表されました。そしてまもなく幕を閉じることになります。

こちらは柳ケ瀬の商店街に面した入り口です。店内に入ると47年間の想いがメッセージボード一面につづられていました。多くの人に愛されていたことがわかります。

11階のレストランフロアにはこれまでの岐阜高島屋の歩みを展示するパネルが並んでいました。オープン当時の広告も掲示されています。

高島屋は、設備工事の更新のための費用について家主の岐阜土地興業と折り合いがつかず、このままでは安全を確保することができないことを閉店の理由に挙げています。

設備更新工事の費用が理由で閉店になるとしたら大変残念なことです。

ただし仮に設備更新ができたとしても、柳ケ瀬が今後もジリ貧なのは間違いなく、閉店時期が多少遅くなったくらいでしょう。むしろよくここまでもったという声も聞きます。

岐阜高島屋の様子です。こうしてみると百貨店としての風格があり、堂々たる建物だと感じます。地方百貨店の中でもかなり立派な建物ではないでしょうか。

この建物の跡地利用は決まっていません。ここでも岐阜土地興業と高島屋の話し合いは平行線のままです。解体するのだって金がかかります。その費用で揉めているのだと思います。

まだ閉店まで数日ありますが、写真にある通り既に高島屋のマークに足場がかかっていました。なんとも寂しい気持ちになりました。

右(南)に見えているのが柳ケ瀬グラッスル35です。起死回生の再開発が完成した矢先の高島屋閉店は大きなショックでしょう。ここの住民は高島屋隣接というアドバンテージで買った人もいるはずです。

そして柳ケ瀬全体にもダメージは大きそうです。孤軍奮闘ながらなんとか商店街を支えてきた商業の核施設を失うのは本当に無念とした言えません。

ちなみに岐阜高島屋の閉店で岐阜には百貨店がひとつもなくなります。これは日本では4県目だそうです。かつては近鉄百貨店やPARCOもありましたがもはやその面影はありません。

しかし柳ケ瀬を歩いてみると人通りはそれなりにあり、寂れたというには早すぎます。この日は催しをやっていたのもあってかかなり人が集まっていました。南側の金公園もリニューアルしましたし、ソフト面の取り組みで集客をすることができるかと思います。

とはいえハード面も対策が必須です。高島屋撤退以降も幽霊ビルを残しておくわけにはいきません。居抜きで延床2.6万を埋められる施設はないし、何より設備の老朽化が深刻なので、やはり解体して何か作るしかないと思います。

近くにも小さな高島屋が、と思ったらこれは岐阜高島屋と提携している駐車場です。こちらはどうなるでしょうか。グラッスルの斜向かいです。

岐阜高島屋の閉店は本当に残念です。しかしそんな中でもクラウドファンディングなどで費用を集め、百貨店の中に入っていた店舗が柳ケ瀬商店街の別の場所に移転して再営業を始めるという店舗もあるようです。

なんだか希望の光を見ているようでうれしいです。高島屋はなくなっても柳ケ瀬とともにこれからも歩んでいくというのがいいですね。その店舗だけでなく人々もそうなるといいです。郊外モールばかりに行くのではなく、柳ケ瀬を回遊するという人が増えれば、高島屋がなくなってもやっていけるはずです。

とはいえそれは簡単なことではありません。中心市街地活性化のためには行政なども入って策を検討していくべきかと思います。柳ケ瀬の再興を願いたいと思います。

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